今年は故・東由多加氏が東京キッドブラザースを結成してから、本来なら40年目にあたります。
東京キッドブラザースは東氏の死後に解散しましたが、この劇団からは柴田恭兵さん、三浦浩一さん、山村美智子さんはじめ、多くの俳優を生み出した劇団でもあります。
1960年代後半、世の中は大学闘争・大学紛争などの学生運動や市民運動の時期、演劇界ではそれまでの演劇の形にとらわれない自由な思想と表現を求め、アンダーグラウンド(アングラ)演劇がブームになりました。
寺山修司の天井桟敷、唐十郎の状況劇場、、串田和美の自由劇場、津野海太郎や佐藤信によって結成された黒テント...。
その時代に起っている出来事を風刺的に描くものとしては、戦前からも宝塚歌劇やOSK・SKDなどで「レヴュー」という形式で上演はされていましたが、戦前戦後の社会教育から無くしてしまった、本来の人が持つ「闇」や「深層心理」、抑圧からの解放を求めた演劇。
東氏は天井桟敷の創立にも加わっていますが、その後、東京キッドブラザースの結成。
1970年に「GOLDEN BAT(黄金バット)」で、それまで日本人では誰も行った事がなかったニューヨークのオフ・オフブロードウェイ「ラ・ママシアター」で2ヶ月間、オフ・ブロードウエイ「シェルダン・スクエア・プレイハウス」で4ヶ月間、通算半年にも渡るロングランを成功させました。
そして、そのニューヨーク公演の成功から1年後の1971年。
新たな構想として打ち立てたのが鳥取県佐治村(現:鳥取市)での「サクランボ・ユートピア」
新聞の広告欄に「芸術家村を作ろう」と呼びかけたもの。
都市圏ではなく、田舎に演劇人を集めるという構想は、「北の国から」の脚本家、倉本聰氏が1984年に北海道富良野市に「富良野塾」を開塾していますが、東氏の構想はそれよりも更に10年以上前。
富良野塾も2010年には閉塾する予定ですが、富良野塾とサクランボ・ユートピアの大きな違いは、行われる場所の地元住民の考えと、開設する側との意思疎通。
富良野塾の閉塾の理由に倉本氏は「いい素材が集まらなくなった」という事を上げられていますが、サクランボ・ユートピアはそれ以前に地元との確執。
交通の不便さやトイレが水洗でなかった事。今でもそれらを理由にした事が原因だったと、鳥取では口にする人がいるけど....違う!!、そうじゃない。
鳥取では「外から来る人」に冷たい。
いえ、「冷たい」という言葉が適切かどうかは分からないけど、観光で来た人や、短期間で来る人には過ごし易い環境だと思う。だけどいつまでたっても「お客様」
東氏はサクランボ・ユートピアの頓挫後も演劇界では大成功をおさめています。
もし、このユートピア構想が成功していたら、鳥取はどんな街になっていたのでしょう。
■ドキュメンタリー「わがユートピア」29分/1971年(昭和46年)
演劇集団・東京キッドブラザーズを率いる東由多加氏が始めた「サクランボ・ユートピア」。
一人あたり千円の参加費を募って土地を手に入れる。
自分たちのユートピア(理想郷)建設を目指す開所式には3600人の会員が集まった。
そして、30人近い若者たちが東氏のもとで共同生活をしながら演劇を作り、自分達のユートピアを求めていく。
本当のユートピアとは何か?
当時、結成2年目で「新・八犬伝」の欧州公演を終えたばかり東京キットブラザーズ...共同体を夢見て奮闘する青春群像。【一口メモ】
昨年、ガンのため 54歳で亡くなった東由多加さんの躍動する若き日の姿に再会。撮影: 橋山英二
録音: 飯塚清一
効果: 益子保男
構成: 小川悳一
サクランボ・ユートピアサクランボ・ユートピアとは、東京キッドブラザースの主宰者東由多加が、故郷を持たない者たちのユートピアを作るために立ち上げたプロジェクトである。土地を購入するために3600人が千円の会費を払い、 1972年に約30名の都会の若者たちがユートピア(理想的な故郷)を求めて佐治村に移住して来た。しかし若者達は夢と現実のギャップを思い知り、村民との交流もままならないまま都会に戻り、プロジェクトは頓挫した。
引用:Wikipedia
【参考リンク】
・倉本聰・富良野塾・富良野GROUP
・NTV 知ってるつもり?!
・ENDLESS KID BROS
・東由多加 - Wikipedia
・東京キッドブラザース - Wikipedia
・天井桟敷 (劇団) - Wikipedia





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